地球でピクニック

中東のバーレーン(バハレーン)在住。アラビア語は話せません。

預言者ムハンマドの家騒動から始まったのだろうか

今日と明日はシーア派の行事「アーシュラ」で国全体がお休み。

「アーシュラ(アシュラ)」は、イスラム歴(AH(ヒジュラ歴))1月10日に行われるイスラム教シーア派の行事。

日本語では「アシュラ祭」と言われているらしい。と、いっても屋台が出たりする楽しい感じの祭りじゃなくて、ものすごい苦行の方の。なにやら、シーア派のみなさんがかつての英雄フセインさんを偲んで、自分にムチ打つ。これ比喩的表現じゃなくて、文字通りの意味。しかも流血レベルで。

しかし、『ダ・ヴィンチ・コード』でもあるキリスト教の一派の伝統的な苦行(自分の身体を感覚が麻痺させるまで痛めつける)によって、信仰を深めるスタイルがあるので、宗教としては別に珍しいことではないんだと思う。けれどね、あの、これって本当に祭りって訳していいんすか?

もちろん、これ、誰に迷惑を掛けるものではないシーア派の宗教的な行事なので、アーシュラで精神的に高揚している彼等に近付かなければ特に危険はない。ということで、ムスリムでもない私などは近付いてはならない。そもそも、私、注射で自分が採血されている腕を見るだけでも気が遠くなりそうなほどのビビりなので絶対に今日は家から一歩も出ないと決めた。

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アーシュラの準備中の町f:id:alif_laila_wa_laila:20210819035807j:plain

対立の始まりはお家騒動

「アシュラ」を知るためには、まずはイスラム教のシーア派を学ぶ必要があるわけで。ここで突然ですが、予備校的解説を開始したいと思います。

イスラム教の宗派については、大きく2大派閥。スンニ派とシーア派があります(3大宗派という話もあるんだけれど、今日は2大派閥で話を進めます)。その派閥の中になんとか主義とか、さらにさらに細分化されていくんだけれど、今日はそこ覚えなくてよし!

ではなんでイスラム教に宗派ができたかというと、これはまさかの後継者争いお家騒動が発端。

さてさて、西暦7世紀初めにムハンマドが、サウジアラビアのメッカ辺りで、アッラー(「神」という意味)の啓示を受けました!とイスラム教を布教開始。当然、色々あったらしいというけれど、20年くらいでアラビア半島全体に広まっていったという。ムハンマド、むちゃくちゃカリスマあったとしか思えない。

しかし、神の啓示を告げる預言者ムハンマド、布教したはよいけれど、その後のことは考えていなかったらしく、次の後継者どーすんの?って問題残したままの逝去。ムハンマドの死後、西暦632年にムハンマドの友人だったアブー・バクルが選出されて正当な後継者としての「カリフ制」の第1代目に就任。しかしですよ、ここでくすぶっていくのが、「やっぱりムハンマドが広めたんだからさ、ここ血縁関係者を後継者にした方がよくない?」って思う人たち。西暦7世紀後半には4代目正統カリフのアリー(ムハンマドの父方の従弟で、ムハンマドの養子になって、ムハンマドの娘のファーティマを結婚。ああ、なんか政治家っぽい)が就任していたんだけれど、ここでついに「預言者ムハンマドの直系の子孫のみがイスラムを指導する資格があると思う」と主張する勢力とそれ以外の勢力に!

ついに来たぞ、お家問題。

「預言者ムハンマドの直系の子孫のみがイスラムを指導する資格があると思う」というシーア(党派という意味。元来は「シーア・アリー(アリー党派の意味)」だったのが略されてシーアと「イスラムはムハンマドの意に沿った慣習に従う人が指導する資格があると思う」というスンナ(慣行とか慣習とかの意味)に分離。

ま、主義主張が違う2派閥によって袂を分つたのですが、なんか知らないけれど未だに分かれた袂の繕いに至らないっぽい。ここまでが2大派閥の発生。

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2011年時点でのスンニ派、シーア派(+イバーティ派)分布図:緑がスンニ派、黄色がシーア派、紫はイバーティ派。割合として多い方って感じの分布図なので、この色の場所が全部「○○派です」って訳ではなくて、比較的多い方がこっちってくらいの参考。

分類マップ(wikimedia):File:Sunni-Shia-Ibadi.png - Wikimedia Commons

 

さて。後半。イスラム教がまだ分離前の第4代正統カリフだったアリーさんは、シーア派初代指導者(イマーム)として就任。なんと、そのアリーの息子のイマーム・フセインが、イラクのカルバラでスンニ派の攻撃を受けて命を落としてしますわけですよ!西暦681年「カルバラの悲劇」と呼ばれるやつです。

「これは、殉職ですよ」

ってことで、シーア派の皆さんは、フセインさんを思い、自身の身体を傷付け、フセインの痛みを再現するわけで。いや、そこまでしなくてもいいですよってフセインは天国から思っていると思っていると思うんですけれど。流血しながら行進をするそうです。

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2010年にレバノンで見掛けたアーシュラの行列

なんか調べてみたら、そういうことだった

ヒジュラ歴の1月10日がフセインさんの命日。そして、アーシュラ=10(アラビア語で10はアシャラ(アーシューラ)と読むそうで)。

なので、この(1月)10日の行事だからアシュラ。フランスの共和国革命記念日7月14日の「キャトルズジュリエ」を日本で「パリ祭」を言うようなもので、便宜上「祭り」って訳されているようなもの。アシュラと聞いて、「阿修羅」の語源がと思ってた。なんか荒々しい怒りの神的な命名かと思っていた私、ハズレ〜。